(公財)東京都中小企業振興公社産学連携プロジェクトマネージャー 小林 智之
社会に直接役に立つ国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の利用を図る一環で取組まれ、今でも進化し続ける宇宙実験のコア技術の一つに、タンパク質の高品質な結晶を生成する装置の開発とその利用がある。
この利用技術は如何にして創り出されたのか。それは、民間企業が積極的に取組み、社会に直接役に立つ成果が生れる応用化研究利用を実施していく一環で生まれた国際宇宙ステーション利用の「イノベーション」の歴史的な成果の一つである。
当時命名された「応用化研究」とは、宇宙環境利用研究のうち、地上の生産活動等への応用を目的とした研究を指すものとし、応用を目指す研究であれば、基礎的な段階の研究でも応用化研究に含めて取り扱われた利用カテゴリーである。
本稿では、「きぼう」利用に先立つ準備として取組まれた、1997年から約10年の社会に役立つ利用促進の取組を振り返り、この利用技術が生まれるに至った来歴を示す。
NASAは、1982年5月に、スペースシャトル計画の後継プロジェクトとして宇宙基地計画の検討に着手し、この計画を国際協力で推進するべく、同年6 月、日本、カナダ、欧州諸国に、調査研究段階からの検討参加を打診した。
日本が計画への参加を決めた当時の宇宙基地は、「宇宙環境を利用する新しい科学、技術、産業を発展させ、学術研究の領域拡大と質の向上に貢献し、広範な宇宙活動の可能性を拓くLEOの恒久的な有人宇宙施設」と位置付けられていた。
日本の宇宙基地計画の意義は、「高度技術の修得」、「次世代の科学や技術の促進と宇宙活動範囲の拡大」、「国際協力への貢献」、「宇宙環境利用の実用化の促進」とされ、宇宙基地計画への参加に対する産業界、大学、国立試験研究機関等の期待は大変に大きかった。
下記に宇宙環境利用に係る各年代の取組フェーズと、その間に出された宇宙開発委員会報告書の表題を示す。表題を見ると、各フェーズでのISSを取り巻く国際間や経済状況の変化に呼応して、ISSの開発利用に係る施策の策定がなされてきたことが読み取れる。
(1)JEM開発着手と利用促進フェーズ:1985年~1992年
(2)宇宙環境利用インフラ基盤の整備フェーズ:1992年~1996年
(3)宇宙環境利用の裾野拡大と利用分野の開拓フェーズ:1996年~2000年
(4) 「きぼう」利用の重点化と多様化への対応フェーズ:2001年~2003年
(5)「きぼう」利用の重点化と多様化フェーズ:2003年10月~2006年
特に、上記(3)のフェーズでの中で、民間企業への利用促進に向けて1998年7月に出された、3.「宇宙ステーションの民間利用の促進に向けて-応用化研究分科会報告書-」が、利用に係る大きな転換点となった。
我が国における最初の宇宙実験は1973年の米国スカイラブ計画への参画であり,その後,小型ロケットを用いた微小重力実験が1980年より1993年まで 6回実施された。
産業界では、宇宙環境利用に関して、1984年5月に三井物産,石川島播磨重工業、東芝の3社での「宇宙基地計画研究会」設立のための覚書の締結を皮切りに、丸紅,住友商事,三菱商事,日商岩井などの商社を中心に研究会を設立し,200社を超える企業が宇宙ステーションの利用に向かって検討開始された。また、経団連も1985年11月に,これらの研究会の横断的組織として,宇宙基地計画参加推進特別部会を設置した。
当該研究会には,従来の宇宙産業(ロケット/ 衛星メーカ)だけでなく,医薬品、半導体製造業などにつながる宇宙環境利用を含めた新たな宇宙産業の市場に参画しようとする企業が参加、各研究会では,我が国の宇宙産業の現状調査,宇宙環境利用に伴い新規に宇宙産業への参入が見込まれる業種の調査等の実施,さらには材料・ライフサイエンス・通信観測・宇宙技術エネルギー等の分野別に部会での検討のほか,講演会による啓蒙活動や米国への視察団派遣による調査を実施した。
このような活動により,従来の企業グループの枠を超えて,参画企業の間で交流が進展し,宇宙の商業化時代到来に備え,ニーズ及び事業化の可能性について研究が行われた。
各研究会は,1986年の(財)宇宙環境利用推進センター,(株)宇宙環境利用研究所の発足,(財)無人宇宙実験システム研究開発機構の形成,及び日本の ISS 計画への本格的参画開始により,当初の役割を果たし活動は発展的に休止した。
日本の本格的な宇宙実験は1992年の第1次材料実験(FMPT: First Material Processing Test)を端緒とし、以降もスペースシャトルを利用した民間企業の利用実験が行われてきたが,宇宙実験の主要な担い手となる民間企業等における宇宙利用分野への関心は一般に低く、宇宙環境利用の研究活動が活発に行われているとは言えない状況であった。
一方,既に欧米では,民間企業が宇宙実験に簡単に臨めるように,具体的な制度や支援方策が整備され,民間企業の宇宙環境利用が推進されていた。
このような、民間企業を中心とした宇宙環境利用への産業界からの期待から始まった宇宙環境利用期待が、日本では、なかなか進展しないのは何故か?その打開策は何か?について検討が進められ、宇宙開発委員会が策定した今後の民間企業利用促進に向けた新しい施策に繋がっていく。
(1)先導的応用化研究制度
民間企業の宇宙実験への積極的な取組の促進に向けた取り組み策が議論された結果、以下の対応で推進することが必要となった。
上記の要件を満たす宇宙実験計画として、「創薬に向けた蛋白質結晶成長・構造解析」に関連した研究テーマが公募・選定され、選定された宇宙実験テーマは下記の4件である(代表研究者は当時の所属)。
これらを含む多くの宇宙実験がコロンビア号ミッションSTS-107で行われたが、帰還時の事故により、ほかの宇宙実験ミッションとともに喪失した。
(2)ISSロシアサービスモジュール(RSM)による宇宙実験プロジェクトの実施
「きぼう」利用までの間に、民間企業の参加促進の一環として応用利用成果を創出するために、RSMを継続して利用した宇宙実験プロジェクトが、2002年度から開始され、先導的応用化研究制度を通じて準備してきた下記の2件の計画が設定された。
特に、1.は、ISSを利用したタンパク質結晶生成技術の開発とそのプロセスを整備して、社会に役立つ宇宙環境利用成果を早期に創出することであり、タンパク質の高品質な結晶生成技術を確立し、その後の「きぼう」利用における応用利用分野の成果創出と効率的な利用支援体制の整備を目指した。
上記1.の宇宙実験計画の特徴は「液・液拡散」による「カウンターディフュージョン法」により結晶を生成することであり、スペースシャトルで主流であった蒸気拡散法の欠点(マランゴニ流れの発生や、タンパク質が多量に必要)を解消する画期的な方法である。その後改良が積み重ねられ、軌道上での結晶化開始が出来るようになり、また透析法や拡散対・浸透濃縮法など多様な結晶化方法にも対応できるに至っている。
この方法の有効性の比較と確認の一環として、STS-107に搭載された先導的応用化研究の蛋白質6種は、RSM利用の第1回実験のタンパク質群の一部として、コロンビア号喪失の翌日に、バイコヌールからRSM搭載に向けて打ち上げられた。
1.は都合9回の宇宙実験を通じ,タンパク質結晶生成技術及び宇宙実験プロセス等を確立し、多くの高分解能な構造データを宇宙実験で生成した結晶から取得し、タンパク質立体構造に基づく研究が社会に極めて大きなインパクトをもたらすことを実証した。
「きぼう」利用の本格的な推進に先立ち、RSMを利用したタンパク質結晶生成宇宙実験は、下記に関わった多くの方々の尽力により生まれた、国際宇宙ステーション利用に係るイノベーションである。
その後の世界の宇宙実験に寄与するとともに、タンパク質結晶にとどまらず、環境性能に優れたバイオ素材の酵素合成,および微生物合成という対象にしていると聞く。
国際宇宙ステーションが、今後も様々な利用に応えて実りある成果をもたらす、宇宙活動の拠点として後世の人類史に残る科学技術成果となっていくことを期待する。